辛気臭い話になりますが、記録を残したいのでご容赦を

令和元年11月19日火曜日、義父が亡くなりました。

死亡推定時刻は9時頃、死因は虚血性心疾患(推定)。享年82歳です。

 

布団屋さんを営んでおり、布団の綿を計る作業途中だったようで、店の入り口で倒れていたそうです。3つある綿の1つは纏めてあって計量済みで、綿の重さを計る秤の重りが散らばっていたそうです。

業者の綿屋さんが発見して、ご近所さん達と警察や救急に連絡してくれました。

安らかな顔をしていたそうで、警察の検証も終わって葬祭センターで遺体と対面した時も、安らかな、眠っているような顔でした。

 

母へ連絡が入ったのが14時頃のようです。姉経由で15時過ぎにメールが来たのですが、業務中はロッカーの中ですし、そもそも携帯の方はあまり見ないので、19時頃姉から電話があって初めて知りました。

前夜のご飯も綺麗に食べて、朝ご飯もきっちり食べて、母が出勤する際も、原付を外へ出してくれて、私が出勤する際も、行ってきますと声を掛けて、正確なワードは覚えていませんが、行ってらっしゃいという、普通の会話をして、いつも通りの平日の朝のお話です。

 

元々心臓が良くなかったそうですが、キトサンのサプリも飲んで健康そうだったし、

数年前、脳の関係で入院した後も、少し脚が悪くなりましたが丈夫でしたし、

この夏に入院して退院、少し動くと息を切っていましたが、生活には問題もありませんでしたし、

10月に再度入院しましたが、退院する頃には脚などのむくみも取れて、慢性心不全の方向けの手帳ももらって、

まあつまり夏と10月に入院して退院後も、少し動くと息を切らせていましたが、生活自体は普通にできましたので、まだ数年は大丈夫だろうと油断していたのかもしれません。

まさに、まさかこんなに早く、です。

 

前日の携帯電話の充電ケーブルがきっちり嵌っていなかったり、FAXのインクを交換したので少なくなったら注文すると声をかけたり、ノートパソコンの操作を質問されたり、他愛もないことが思い出されます。

 

仕事なんかサボって家にいて、倒れた時素早く救急車を呼んであげられたら、少しは違った結果になっていたかもしれません。

あるいは、神棚に捧げたお酒のパッケージが黒かったから、それが呪術的にまずかったんじゃないかとか、

いつも家に置いている御守りを持って行っていたので、それが魔術的にまずかったんじゃないかとか、

あの時何かできたのではないか、という、おそらく突然こうした経験をされた方であれば考えるであろうことを考えます。

 

でも、自分の事は自分でされていましたし、最後まで日常生活を普通に送ってもらえたのは、本当にありがたいです。

 本業の他に、今年の4月まで地域のイベントの音響の仕事もしていて、メンタルニートの私と違って、嘆いたり悼んだりしてくれる友人や知り合いの方も大勢いて、そこも純粋に良かったと言えます。

 

私が33歳で母と再婚して義父となりましたが、17年も同居すれば家族として愛着も大きくなります。

子供の頃は家族のことで苦労していたそうですので、ちょっと遅いかもですがもう人生のボーナスせしめてもいいはず。

今週末には故郷の福島へ行く予定だったので、今まで自動車運転は任せていたのですが、今度は私が運転して凱旋気分を味わってもらおうと思ってはいました。

働き者の気質には、自分でできないことは不本意かもですが。

 

布団屋さんの仕事も教えてもらってちょっとは手伝えないかなとか、車にETC付けるの勧めてみようかとか、昔の話をいろいろ聞いてみようかとか、今年も終わりでバタバタするだろうから来年から始めてみようと思ってもいました。

遅まきながら自覚も出かけてこれから、だと思っていたので、本当に残念です。

機会を伺うのは重要だけど、行動が遅いと機会自体を失うという教訓でしょう。

いや、連綿と伝えられ続けた当たり前の話の再確認が人の命というのは、レートが高すぎだよなあ、と高くした張本人は考えます。

 

私もそこそこ生きてきましたので、家族や親族を何人も亡くしています。

実父を亡くしたのは30年くらい前で、数年後には祖父も亡くなって、

その頃には、とても悲しいけれど、でも人はこうして生きてきたのだから、自分もそうして未来へ進むのだ、と考えていました。実際数ヶ月前まではそう思うことができました。

今は、それでも悲しい、それでも寂しい、という想いの方が大きいです。

おそらく若い頃は、理解していたというより、正面から向き合っていなかったのかもしれません。

自分ではどうにもできないことを、いろいろ考えても仕方がない。

それでも哀しいから人は永遠を求めたり、それでも淋しいから終わりの先の世界を求めたのでしょうね。

 

ああ、でもSNSはいいものですね。こうして書くことで考えを整理できるし、発信して誰かに話を聞いてもらえる気分になる。

もっと血縁の濃い家族が失われた時には、こうした気力も失われるかもですが。

 《2019年11月21日Twitter投稿文を整理して掲載》